2023/10/22 11:02





苦しい、息苦しい、空気にすら首を絞められてる気分だ。
そんな事が日本のどこかでは多く起きてる。
こんなに世の中って混沌とした生きにくい世の中だったのだろうか。
それとも大人になるにつれて見えなかったものが見え始め輝いてた自分の「何か」が擦れて何も映らなく暗くなってしまったのか。


僕はストレス解消というものがイマイチよくわからない。
苦しいものは苦しいのだ、気晴らしというイイワケをして何か違う事をしても自分の好きな事に手を出してみても、その瞬間が楽しくなる事はあるが終われば抱えたストレスがまた帰ってくる。そう僕にとってストレスが解消されて消えることはないのだ。
きっと僕は心が弱い。そして強くなる事もない。
鍛えられたのではなく歳と共に心も老い、そして鈍感になりそのストレスを真に受けなくなったのだろう。

まったく同じ感覚や考えを持ってる人はそうそういない。いやもしかしたらいないのかもしれない。
でも似た角度で日々苦しんでる人はいるのかもしれない。


そんな人達に共感するだとか、理解するなんて僕にはおこがましくてとてもできるとは思えないけど、それでも何かできることもあるのだろうかと矛盾な考えをもつ。


それが今の僕には1杯のコーヒーなのかもしれない。
コーヒーには僕にはできない素晴らしい力がある。
落ち着いたトーンの赤褐色、そして柔らかく包む香り、そして多種多様なまるで人の個性のような味わい。
そんなコーヒーは1人で嗜むだけでなく、人と人を繋ぐ力だってあるんだから。


たまに思う事がある。知識ってなんだろう技術ってなんだろうと。
きっと世界一のコーヒーなんて存在しない。
いや全てが誰かの世界一のコーヒーになり得るわけだから、無理矢理ルールを作らなきゃ「世界一」を誰かと決める事なんてできないのだ。


きっと僕の技術や知識はその誰かの「世界一」を見つけるお手伝いだったり、一緒に体現するために存在するのかもしれない。だからこそ磨くのが楽しくなるのだろうなと。



誰かの心が苦しくても、無理だと思ったとしても、その人の人生を救うなんて大それた事は出来ないけど。
その人が僕が作ったコーヒーでとりあえず今日頑張ろうと思える1杯を作り出したい。


そんな延命のような偽善なんてって思われるかもしれないが、伸ばした1秒がいい方向に向かえばその先は「うさぎの登り坂」かもしれない。

苦しくても、大変でも、伸ばした1秒がいい方向に向けることがコーヒーにはできると信じてる。



なんとも極端な話に聞こえるかもしれないが、生きるってそれだけ大変だよなって思うんです。