2026/10/24 15:44

SCAJに参加すると襟を正してもらえるような気持ちになると同時に、普段触れる事ができないコーヒーと向き合うシビアな世界に出会うことができる。
それは大会であったり、多くのロースターやバリスタとの出会いであったりする部分もあるのかもしれない。


とても大きな刺激が心一杯にあふれる寸前になり翌日からの活力を蓄える一方、家に帰ってゆっくりコーヒーを淹れたいという気持ちにもなる。

仕事として向き合うにはこの機会を逃すなんて勿体なさすぎるが、一個人のコーヒー好きとしては少しシビアすぎる世界にも感じる。


多すぎない情報の中、ゆっくりとした時間と、その場を流れる空気感。
その時間からゆっくり生まれたコーヒーの香りに包まれる時間が至福だ。

あのSCAJの時間からしたら味の追求もほどほどに、そしてなんとも中くらいな完成度ともいえるコーヒーかもしれないが、それ以上に、誰と過ごしているか。どんな時間の中で、どんな刺激が五感を撫でているのか。
そういったものが中くらいを最上のコーヒーに引き上げてくれるのかもしれない。


生豆の仕入れをしてサンプル焙煎をして何度もカッピングをする。
そうして試行錯誤を重ねた結果SonicSheepには1つのコーヒー豆がメニューに並ぶわけだが自分にとって予期せぬエラーが起きる。それをエラーと捉えるのももしかしたら違うのかもしれない。
多くのサンプルをカッピングして悩みに悩んでこれだ!と決めたが他のスタッフやお客さんは別のサンプルを選ぶ時もある。嗜好品なのだから当然の事でもある。十人十色同じ豆でもサンプルで意見が割れるのは当然な事ではある。でも自分と人の意見の違いは、単に嗜好の違いだけではないのかもしれない。
自分は仕入れから生豆を見て香りをかいで、焙煎中のデータも見て焼き上がりからエイジングの香味変化まで見ている。悪く言えば多くの情報や自分との思考のやりとりに感覚が縛られている。
でも飲み手はそうではない。『おいしい』か『好き』なのだ。そしてそれを家に取り入れたいか、誰かと一緒にどんなときに飲みたいかを想像する。
シビアになればなるほど突き詰めたものはできあがるがどんどん狭くなっていく。
その狭さが先の想像を邪魔してしまったのではないかと。まるで紙に針で穴をあけてそこから覗くような。

突き詰めていくことは大切だが、裾を見落として自分で踏んで躓くたびにハッとする。
そこに気づけた事がまた一歩成長に近づけたような気がして少し嬉しく思う。



気候もようやく過ごしやすくなってきた。
夏は暑かった。これから来る冬はきっととても寒い。
そんな両極端じゃない秋の今はきっと『中くらい』だ。
ほどよく心地よくて彩りの階調も優しくたのしい。
『中くらい』はきっと優しく柔らかく誰かの形に合わせやすい幅を持っている。


襟を正してもらってシビアな世界に身を置かせてもらっているからこそ、『中くらい』を大切に表現できる人になりたいものだ。