2025/11/05 18:45

気がつくと11月5日、、、最後の記事が5月13日なので約半年もサボってしまったわけだ。
継続は力なりという言葉があるが、さすが力になるための努力はやはり難しい。
些細な事でその日にできない、やらないが始まりそして1日、1日とズルズル先へ先へ伸びていく。
延ばせば延ばす程罪悪感と共に戻り時を見失ってしまうわけである。

そして自分は半年の時を流してしまった。


さて久しぶりの記事だし、1年前はどうだったかとかあれからどうだったとか?そういう話をするのもいいが特別有名人でも芸能人でもない自分は大した事などあるはずもなく、ろくでもない事を積み重ねてきたとも言えるかもしれない。

とはいえ、それでも細々とコーヒー屋はどうにかこうにか続けてるわけで、、自転車操業とも言えるくらいの超弱小店舗ではあるが今日もまたこうして自分の仕事のページを開き何か想いにふけているわけです。

生きなきゃいけないからどうにか続けているのか、それとも苦しくてもどうにか成し遂げたい何かがあるから続けているのかで意味合いは大きく変わってくるわけで、自分は後者であると、そうでありたいと信じている。

生きるために生活のためにもう少し売上が欲しいとか、そういう気持ちになる時もあるが。
この活動ポリシーのためにここを我慢する、ここを捨てるという選択は売上というお金を見てるだけだとなかなか取れない。

自分はコーヒー屋、いやコーヒーが好きな人間である。
しかしだからコーヒー屋をやっているのではない。
コーヒー屋という選択肢が自分の中に浮上した時、「何が成し遂げられるか」「何を残すことができるか」「何を先に繋げることができるか」という事を考えた。
これが答えられないなら自分にコーヒー屋をやる資格などないと思ったのだ。
自己満足でただ死ぬまでコーヒー屋をするのではなく。魅せられたものだからこそ、自分の死んだ先を生きる人達にも『良い物・残したい』という感情を繋いで良ければ、自分が魅せられたコーヒーへの、僕をここに導いてくれた人への恩返しになるのではないか、そして同じ気持ちが僕を越えた先に続いたらいいなと思ってる。


人と人の関係で相まみえない事もある、敵対しててもしょうがないとあきらめてしまって、自分とベクトルが違うと一呼吸おかないと自分が混沌に巻き込まれてしまうことだってある。
自分以外の考えを間違っているとは思ってない、むしろ多種多様でいいと思ってる。
多種多様だからこそ自分のベクトルは見失わないように、他人のベクトルを見すぎて自分が止まらないようにしないといけない。自分を見るのを忘れて前も見ず、足を止めて騒いでる人になってもしょうがないのだ。

さてさて話がまた脱線してしまったわけだが、この辺は半年サボっても変わらないようだ。
気がつけばコーヒーに携わって14年になろうとしてる。
何を成し遂げられたかはまだわからないが、わからないなりに牛歩であっても前を見て進んでたつもりだ。
こうしてサボりながらも自分の軌跡をこれからもなんとか続けていきたいものだ。
来年はどうなっているのだろう、いやその前に明日どうなってるかもわからない。

とりあえずコーヒーを淹れよう。
僕は無能だ。とことん無能だから数秒先の未来を100%当てる事すらできない。
でもこの後コーヒーを淹れて少し気持ちが安らいで上向く未来を予想してみようと思う。

当たったらいいな。


当たるだろう。きっと当たる。


そう信じないとこれからの行動が楽しくない。



もう1つ未来を予想しよう。
きっと淹れるコーヒーはボリビアだ。