2025/01/09 18:30



イメージとは。

心の中に思いうかべる姿・像。心象(しんしょう)。その像を心に描くこと。そのものの有様を示す大体の感じ。

約1.5キロの脳の中であらゆる感情が目まぐるしく動き、そして目の前に存在しないものを立体的に想像する事ができる。

そんなハイテクな脳だがハイテクゆえにエラーもよく起こる。

イメージに引きずられすぎて目の前の物・事を正しく評価ができない。自分もそうなりがちになってないか少し寂しくも不安にも思う。


長年の蓄積で定着したイメージ。

そのイメージが定着してるからこそ意外性をつかれたり、新しい発見に感動したりするのかもしれないが逆にそのイメージが強すぎて新しいものを拒絶する傾向もある。

これはこうだから。こうじゃなきゃいけない。だからこれは違う。

そうして新しい概念が淘汰される事もある。

とてももったいない事だ。

変わらない何かがあるのはとても大切なことではある。でも変わらない事に固執して新しいものに過剰反応してアナフィラキシーのように拒絶してしまうのは大切な何かまで止めてしまうのでは無いだろうか。


先日ネットニュースを見ていると紅白の話題が出ていた。その中で毎年書かれている『視聴率』。

歴代ワースト2の視聴率だそうだ。

とはいえ時代が違う。今はリビングに、お茶の間に家族が揃って紅白を見ながら年を越すことも少なくなってきた。

スマートフォンではあらゆるSNSが混在し、年末でも様々なお店が夜遅くまで営業している。

そもそもの年末の過ごし方の選択肢の母数が全然違うのだ。

そこがしっかり加味されずできあがった数字に多くの人が反応しているのが。

元々の『年末といえば紅白』という長年でついてきたイメージに引きずられてるからなのではないのかと思ってしまう。


コーヒーも同じではないだろうか。

長年ファーストウェーブの頃から定着してきた黒くて苦い飲み物。酸っぱいコーヒー。酸味が苦手な人が多いなど、色々なイメージがあると思う。

当時とは環境が違う。栽培方法も品質も多く変わってきた。農園主と僕らコーヒーに携わる人との繋がりも以前よりずっと強くなってより良いコーヒーが毎年毎年登場してる。

それを今までのイメージだけで嫌煙してしまうのはもったいないと僕は思ってしまう。


何か新しい伝え方、新しい表現で今までのイメージを優しく覆してあげられるような間口の先を見せられるような、そんな事ができる2025年にしたいものだ。


コーヒーは十人十色に対応出来る素晴らしいものだ。

もう少し覗いてみたら多くの知らない世界を知ってより良いコーヒーブレイクが更に過ごせるかもしれない。


ここらでどうだろう。

今年は僕らバリスタともう少しコーヒーで冒険してみる年にしてみてはどうだろうか?