2024/10/29 22:36

夏も終わり雲の形や風の香りはすっかり秋のしるしを示すかのような日々になった。
今年の暑さは酷いなんて毎年塗り替えるような発言がそこら中に飛び交っていたはずなのに人々は『もう今年が終わるね。早いね』と言っている。
これもひとつの季節の移り変わりなのだろうか。
さてカウンターを挟んで会話する時に回避したい会話がある。
政治・宗教・プロスポーツ
絶対にダメというわけではない。関係性によっては問題ないであろう。
だが聞いているのは目の前の話している人だけではない。
多種多様な考えをもった人が思想や強い信仰のデリケートな部分に触れれば起こらなくてもよい争いで傷つけあう。そのような事は決してあってはならない。
コーヒーとは、カフェとは嗜好品の世界である。だからこそ平等であるべきで多種多様が認められる世界であるべきなのだ。
そのために全国にはあらゆる個性のカフェやコーヒースタンドがある。どこかに必ず誰かの居場所があるように。
決して特権階級しか楽しめないような世界ではなく、中に一旦入れば皆平等である。
ところが人というものは強欲で我儘だ。自分と違う物や意見に触れると違和感を覚え人それぞれと心の片隅でわかっているはずなのに敵意や反感、自己主張が前へ前へと出てきてしまう。それがお互いに出てしまえば衝突するのは目に見えている。もし片側が受け流してもそこにストレスが生じているのは明確である。
たったそれだけの事、されどそれだけの事。それだけの事でヒビが大きな亀裂になる事があるのだから、それはそれはこの社会は生きづらさを感じるわけである。
『社会から離れた心の避難所』
Sonic Sheepでよく使っている言葉なわけだが、僕はその生きづらさから少しでも開放される時間が作れる店造りを目指している。
あなただけの『心の避難所』かもしれない。だけど持ってる不満や不安はグッと堪えてほしい。いや堪えてみてほしい。
こんな世の中なのだから心から言葉を出せばそれはそれは湧き水のように溢れてくるだろう。
でもその溢れた水はどこかに流れて誰かの手に触れる時がくる。その空気を感じれば結局あなたも暗くなってしまうだろう。
ならここはひとつグッと堪えて、ここは『心の避難所』なのだからそもそもそんな事を考える必要すらないのだ。
目の前のバリスタが淹れるコーヒー。目の前に置かれたそれ。
黒く苦いという固定概念を長年埋め込まれてきた『それ』はよく見れば少しルビー色でちゃんと透明感もあり、下から湧き上がってくる芳醇な香りは決して『黒』だなんて単純な表現では終われない。
しっかりと向き合えばこんなにもたくさんの癒しの情報が交差する、そんな複雑でかつ優しく丸く、そして柔らかい飲み物なのだ。
現代社会で抱えた不満や不安を持ち込んでこの時間を過ごすなんてもったいない。
それは外の『現実』の話だ。今は必要ない話。
今あなたはそんな現実から離れて目の前の一杯というコーヒーの魔法に包まれて『あなただけの物語』を楽しんでいる。
小説を読むかのように、余計な事は考えずあなただけの物語をじっくりじっくり指でなぞりながら楽しむ時間なのである。
その時間に他人など関係ないのだ、あなたの物語に横からペンを入れる事など誰もできないし、もちろんあなたが誰かの物語にそうすることもできない。
各々が各々を大切にじっくり楽しむ事ができるのではないだろうか。
Sonic Sheepのカウンターはそうでありたい。
『互いに礼を尽くし、尊敬すること。そのような心境になるには心が穏やかでなければならない』
室町時代中期の茶人、村田珠光の言葉である。
思いやりの心を持つためには自分がまず穏やかでなければならない。
僕らバリスタや焙煎士も同じだろう。
心穏やかに焙煎や抽出ができれば所作も柔らかくなり『思いやりのある一杯』を出して僕らからあなたへ何か一つ繋げる事ができるのかもしれない。
人が作り上げて人から人へを繋がったもの、少し不格好であったとしても
『月も雲間のなきは嫌にて候』
それは不足の美なのだから、僕は人間味があってとても好きである。
長々とまとまりもなく書いてたわけだが、僕の目の前で僕が淹れたコーヒーを飲んでる人、その時間くらいは穏やかでいてほしいのだ。
きっとそれは無駄な時間にはならないのだから、それを約束するために僕らが目の前に立っているのである。
