2023/11/17 15:51

久しぶりの投稿になってしまいました。
ちょっとお休みをしてる間に高熱で40度が1週間続いたり後遺症のせいか目眩が止まらなくなり仕事どころでない日々が続いたりと割と散々な一カ月を過ごしてたわけですが、気が病むと色々な事を思い出すものでなぜか幼稚園の頃にしこたま親に怒られた記憶が蘇りなんだかなぁとなっていました。
さてそんなわけで今回は『あなたの嫌いは記憶の中の思い出』というお話。
皆さん嫌いなものはありますか?
それはいつから嫌いですが?
本当にそれが嫌いで、今も嫌いですか?
しつこいなぁ、、嫌いなもんな嫌いだわ!!なんて突き放さずちょっとお付き合い下さい。
僕にも嫌いなものはきっとたくさんあります。
でも本質的にそれが本当に嫌いなのかはわかりません。
「本質的に」と書きましたが、「それ」単体をみて嫌いと断言できるものが少ない気がするのです。
幼少期、僕は昔インゲンの胡麻和えが大嫌いでした。
こんな美味しいものなのに美味しく感じなかったんです。
それは成長と共に味覚が変わったから今好きになったのでしょうか?
その要素も否定はできません。
ですがそれ以上に「嫌い」を「好き」に変えるきっかけが何かあったからなのだと思ってます。
嫌いになったきっかけは「見た目」と「家族の反応」でした。
実家で出てくるインゲンの胡麻和えは黒ゴマをすった物だったのですが、これを初めてみる幼少期の自分には「洗われていない汚い野菜」に見えたんです笑
そんなの親が出してくるはずもないんですがね笑
これをみてたまらず僕はこんなの食べれないと拒否。そりゃあ一生懸命作ってくれたのですからしこたま怒られました笑
そう僕にとってインゲンの胡麻和えが嫌いになった理由なんて本質的的な料理としての「味」じゃなく「記憶の中の思い出」だったんです。
そんな思い出補正のおかげで美味しくないフィルターが心にかかり無理矢理食べてみるも美味しくない部分ばかり目立ち、哀しくもインゲンの胡麻和えは僕の嫌いゾーンに留まったまま。
ちゃんと美味しく食べれるようになったのはその「思い出」が笑い話にできるようになってからだったかなぁ、、と。
さてそんな幼少期の自分の思い出話になってしまいましたが、多分人の「嫌い」なんてそんなものなのではないでしょうか?
嫌な「思い出」、周りの作った「空気感」、世間的な「イメージ」に流されたりして、本当にそれが嫌いなのかは少し怪しくあやふや。
そんな少し怪しくあやふやな「嫌い」がいとも簡単に「好き」にコロッと変わってしまう瞬間があります。まぁ笑ってしまうくらいに。
それは嫌な思い出を上回る新しい「良き思い出」を作ることができた時です。
自分の嫌いなものを誰かが楽しそうにしてた、美味しそうにしてた、そこから笑顔が溢れてた。
その誰かは家族や友人かもしれない、恋人かもしれないし、もしかしたら見ず知らずの人かも。
ポジティブな感情が溢れていればそこに足を踏み入れたくなるもので、疑心暗鬼になりながらも恐る恐る手を出してみると「あれ?嫌いじゃない」と嘘かのようにひっくり返ってしまいます。
不思議ですよね。
でもそれくらい好き嫌い、喜怒哀楽は環境に依存しているのではないでしょうか。
哀しく辛い思い出があるものは好きとはいえなくなる。
楽しく嬉しい未来があるものは克服しても好きになってみたくなる。
その瞬間がより僕らの人生や生活が豊かになる瞬間なのかなと思ってます。
さてコーヒーを嫌いな方もたくさんいるでしょう。
むしろ嫌いな方は僕のこの投稿を目にする事が無いかもしれない。
でももし目にする事があったなら心のどこかに何となくとどめていて欲しい。
大切な方と一緒に過ごすコーヒーブレイクをまずは楽しんでいただきたい。
それはブラックコーヒーじゃくて、ミルクがたくさん入っていても砂糖がこれでもかと入っていてもいい。
コーヒーの飲み方に不正解はないのだから。
是非その時間を楽しんでもらいたい。
この忙しない世の中でちょっとゆっくりとした贅沢な時間を。
コーヒーと共に過ごす時間にはそんな不思議な空間がある。
そして僕らがそのお手伝いをできたらと思ってたりするわけです。
そんなふうにコーヒーが一滴も飲めないくらい嫌いだったバリスタは思うわけです。
僕がコーヒーを好きになった瞬間は「師匠」との出逢い。
「最高の空間」と「最高の時間」を共有してもらえた「良き思い出」をきっかけに、、、
その話はまたいつかの機会に。
今日はこれくらいで。
この投稿も誰かの「良き思い出」や「きっかけ」になりますように。
